中川志郎さんの講演会・前編 [生き物いろいろ]
今まで、以前書いた日記から紹介していましたが
今日はつい先日のことのお話から、それに関連した事を続けて書きます。
11月5日
名古屋東山動物園で、中川志郎さんの講演がありました。
ばった、大大大尊敬している方です。上野の獣医さんとして長年勤められ、園長さんにもなられました。パンダ飼育繁殖にも深く関わられた方です。
今は
茨城県自然史博物館の館長を勤められています。
★以下()内は私が思った事。を書き加えてます。
人類が登場した500万年前、人と動物は共存の世界だった。
現在平均体重55キロの同種の動物(人)がこんなに沢山いるという事は地球史上無いこと。当時は、人は動物の事をよく知っていた。感じていた。
そして、現在は外出しても動物に接する機会が少なくなった…
人と動物と、明らかに唯一違う事がある。それは…
個々の知識を、子や他人に伝え残すことができるということ。
子が年老いた親の世話をするという行動は人間だけが行う行動である。
個の持つ知識や経験は、その個が死ぬまで、いや死んでも大切に伝達される。
(言われて見ればほんとに…ゴリラだって、年老いて弱ったリーダー♂も、家族は見守る事はするけど、世話はしない。)
それは文化や知識を大切にする動物だから。
ラスコーなどに残る洞窟画は、後世に残そうとした文化知識伝達の最古のものと言える。
(そうか…人間は、自分の生きた証を大切に思う人がほとんどだと思う。こんな感覚は他の動物には無いかも…)
最古の人間は、狩猟採集で生活の糧を得ていた。採れなくなれば、移動…
(沢山歩けるように、遠くが見渡せるように⇒二足歩行。そして、ずっと歩き続けてもオーバーヒートしないように、全身で汗をかけるように進化したって、ほんとかもですね~)
そこに農耕、牧畜という技術が発生急速に広がってゆく。
とんでもなく革命的、移動しなくてよくなった。しかも効率がいい、沢山糧を得られる。
すると
「自然征服の思想」が生まれてきた。人は特別な存在?
ここに宗教と哲学も絡んできた。
キリスト教→人意外の動物は人のためにある…
デカルトの思想→動物は精巧な機械でできている。だから動物には痛みというものは存在しない。
(聖書の冒頭にもあるけれど…聖書を熟読すれば、人が動物を征服しても良いってぇ意味じゃないんじゃないかなあなんて思うのだが…ちゃんと聖書読んだ事ないからなんとも言えんです。)
(デカルトの思想…のこの話を初めて知った時はぞっとしましたよ。動物を生きたまま固定し立たせて解剖してたとか(>_<)(>_<)(>_<))
しかし、この思想のおかげで、一気に生物学は進歩する!!
(こんなことが二度と繰り返されないためにも、今の科学技術…しっかり後世に残って発展してほしいな。CTスキャンとかPETとか…。動物実験も動物を使わなくてもよくなる時代が早くやってくるといいな。人工皮膚とか臓器とか、培養細胞利用とか)
同時に、動物虐待の時代がやってくる、コロシアムの登場! 殺した動物の数が王様としてのステータスシンボルとなったり。
動物は人より劣っている!ということを人々に知らしめるために、動物いじめが流行。そのために品種改良した犬も現れる。
(ブルドッグは牛いじめ用に作られた犬だったんだよね確か…(-_-;)BULLは雄牛の意)
ところがここで、そんな思想を覆す事を言い始めた人物が現れた。ダーゥインその人。
「個々の種はそれぞれが進化したもので、神が創ったものではない」「人は神の子ではない!」
それはもう、彼は凶弾されまくったのはいうまでもなく…。
しかし ダーウィンの研究は徐々に広がってゆく。そんな中
産業革命が起こる。
職場←→家の生活。生き物と接触の無い仕事。農耕牧畜以外の仕事に従事する人が格段に増えた。
すると…
人々は自然への憧れがふつふつと湧いてきてしまった。
そうして
「自然」も科学の対象である…という考えになってきた。
(それまでかけ離れた存在とされてたのか…知らなんだ。(*_*))
このころ、動物園が次々と生まれる。「もっと動物の事を知ろう知りたい」「ダーウィンの言った事は本当なのか!確かめたい!」
そして動物園は急速に博物館の一つとして増えてゆきました。
続く…
なるべくきちんと書こうと思ったら長くなってしまいました。 m(__)m
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